TOKYO TRAVELOGUE東京紀行

万世橋駅

2021 Winter

ネオンがやけに眩しい秋葉原の街を背に、中央通りを淡路町方面へ歩いていくと、オレンジ色のライトが薄明るく橋を照らしていた。神田川に架かる『万世橋』は昭和5年に造られた石製の橋だ。よく見ると、汽車や桜など、かわいらしいモチーフが施されている。東京屈指のターミナル駅『万世橋駅』は、かつてこの橋の向こう、須田町交差点に面して建っていた。

“神田須田町”と聞いて、ピンと来る人は東京に住んでいても少ないのかも知れない。すぐ近くを神田川が流れるこのエリアは、江戸期より青物市場や資材の運搬で人の往来が活発であった。明治時代になると、飲食店や映画館などの娯楽施設が多く開業したことから繁華街として発展、その賑わいは銀座に匹敵するほどだったという。

神田須田町
国立国会図書館ウェブサイトより

“万世橋駅は明治45年、中央本線の始発駅・市電のハブとして華々しく開業した。駅舎は格調高い鮮やかな煉瓦造りが特徴で、東京駅と同じ辰野金吾の設計。一等・二等待合室の他にバーや会議室などを備えた大変豪華な造りだったようで、2階で営業していた食堂では、岩野泡鳴や芥川龍之介らがしばしば文学サロンを開き、熱い討論を交わすなど、庶民から文化人まで多くの人々に愛されていた。

そんな万世橋駅。駅としての歴史はそう長く続かなかった。7年後に開業した東京駅や神田駅の影響で乗降者数は著しく減少、関東大震災で駅舎が倒壊してからは徐々にその存在も薄れ、昭和18年、静かにその役割を終えたのだ。

マーチエキュート神田万世橋
マーチエキュート神田万世橋

しかし平成25年、残された高架橋を利用して造られた商業施設がオープン。感度の高い飲食店やセレクトショップが並び、人の流れを生む新しいランドマークへと生まれ変わった。どこか懐かしくも洗練された『レトロモダン』な店内を歩けば、木製の床を踏みしめる音が響く。低いアーチ型の天井や、所々にダメージが入った赤煉瓦の壁、開業当時のまま現存する階段のタイルは、今では伝承されていない当時の職人による高度な技法で仕上げられたそうだ。茶色く変色した蹴込みや、コンクリート氷柱も100年の歴史を今に伝えてくれる。

デッキに出て、ゆらゆらと神田川に映る街の灯りを眺めながらコーヒーを啜る。遠くから聞こえる電気街の雑踏と、ひんやりとした秋の風が心地よい。ずっと昔から変わらない川の流れと、激動の時代を乗り越え革新を重ねてきたこの地を静かに見守ってきた万世橋駅。当時の記憶や歴史を今にとどめた都心に残る貴重な遺構に、少しばかり背筋が伸びる思いとともに、その場を後にした。

TOPOWNERS CLUBTOKYO TRAVELOGE2021 Winter