TOKYO TRAVELOGUE東京紀行
都内唯一の吉祥寺
2022 Summer
うだるような暑さが続いていたとある平日の昼下がり。
ふと思い立って、以前から気になっていた曹洞宗の名刹、「吉祥寺」を訪ねた。
「吉祥寺」と言って真っ先に思い浮かべるのは、ハモニカ横丁のある、あの吉祥寺だろう。
いつの頃かは定かではないが、渋滞に巻き込まれた際に、たまたま目に入ったのがここ。
こんなところに「吉祥寺」なんて名のお寺さんがあるのかと、心に刻まれていた。
この辺り、白山・向丘・本駒込界隈は文京区景観計画で唯一、「寺町」として指定されている地区。
なるほど、歩を進める度に寺や神社が目に入り、街全体が歴史を感じさせる深い緑と静寂に包まれている。
その中でも一際大きなお寺さんが「諏訪山吉祥寺」だ。
時は1458年の室町時代。太田道灌によって江戸城内で創建され、
秀吉による家康の関東移封が命じられた際に本郷元町に移転。
その後、「明暦の大火」という未曾有の大火事によって類焼し、
「吉祥寺」をはじめとする数々の寺院がこの地に移転してきた。
実は武蔵野市にある、あの吉祥寺は、当時、焼け出された門前の町人たちが移り住み、
かつての「吉祥寺」を懐かしんで名付けた地なのである。
なお、武蔵野市には「吉祥寺」という寺はなく、都内には唯一、ここにしか存在しない。
そうこうしているうちに、「吉祥寺」の入口にたどり着いた。
1802年に建立された重厚な山門をくぐり、150mはあろうかという“緑の回廊”を
ゆっくりと歩きながら境内へと向かっていくと、学生らしき若者が参拝している姿が目に付いた。
広大な境内には1722年に鋳造された大仏や山門とともに第二次大戦の戦禍を免れた経蔵、
その前に鎮座する狛犬ならぬ狛寅など、様々な旧跡が点在し、
それぞれに得も言われぬ謂れを感じさせるのだが、今では存在しないものも少なくはない。
その一つが駒澤大学の前身となる、「旃檀林」(せんだんりん)と呼ばれる学寮。
漢学の一大研究機関として大いに栄え、それがきっかけとなって学業祈願の寺とも呼ばれているらしい。
広さがなせる業であるが、当時は1000人を超える学僧が勉学に励んだという。
境内にある建造物に背の高いものはなく、空が広く感じられる。
都心の一角にありながら、この心安らぐ環境が文教の地へと誘ったのだろうか。
柔らかい風にそよぐ葉っぱの音を心地よく感じながらも、強烈な日差しに身の危険を感じ、
日影をたどりながら帰路に就いた。
もう少し涼しくなったら、またこの寺町を訪れよう。
期待を上まわる良い一日だった。
散策にはもってこいだ。